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2020年11月
10月の内に荷物の移動は終わっていたので、少しずつ荷解きを始める
この時になって、実家の変化を少しずつ感じるようになる
まず、自分が使っていた部屋と兄が使っていた部屋の間には
開閉して1部屋にして使えるような仕切りがあったのだが、
そこが開け放たれて母親の趣味部屋になっていた
それは空いてしまった部屋の有効活用なので良いのだが
元々母親が趣味にしていた手芸道具はホコリを被っていた
暇さえあればパズルや手芸をして、
手芸は周囲の人を集めて教えていたりもしていたのを思い出し、
最近ではあまり積極的に人と関わらなくなっているんだな、、、というのが分かった
自分が使っていた部屋にあった母親の道具を少し整理して
そこを自分の仕事部屋とさせてもらうことにしたのだが
何故かエアコンが撤去されていた
エアコンが無い生活が始まるのか、、、とテンションが下がったのを覚えている
少し同居したら、近場で仕事部屋を探せば良いやと思っていたので
サクッと気持ちを切り替えて机やPC、音楽機材などを設置していって
会社の仕事、個人事業主の仕事のスケジュールをこなしつつ
空き時間があれば車で近所の様子を見て回っていた
実家で荷解きと仕事をしながら数日過ごして
ふと気付くと、荷解き前の荷物の場所が移動している事に気付いた
動かしたか母親に聞くと、触っていないと言う
自分で動かしたのかな?と思い、そのまま生活していたのだが
また数日すると、その荷物が見当たらない
母親に確認すると、触っていないと言う
家の中を探しても見つからない
段ボールが複数個なくなる、、、?
おかしいじゃないか、、、と思い
庭にある物置を開けてみると、そこに荷物があった
仕事でたまに見る紙媒体の資料であったり、
依頼された時に作るギターなどのケーブルの材料だったり、
物置に自分でしまう可能性が非常に低い物ばかりの箱、、、
母親が移動して忘れてしまったのだろう、、、と思い
自分の仕事部屋に運ぶ、、、
こういう事が度々起こり、その度に母親は触っていないと言い
聞いても仕方ないか、、、という気持ちになって来た頃
まさに母親が荷物を移動している瞬間を見た
それは移動しないで〜!と言ったところ
邪魔で仕方ないから片付けろ!と怒鳴られた
まあ、確かにゆっくりと片付けと荷解きをしていたので
ペースは遅かったな、、、と
通路は塞いでなかったが、目障りだったのかも知れない
その場は謝り、移動しようとしていた荷物を受け取って部屋に運んだ
夜になり、一緒に夕飯を食べようかという話になったので雑談ついでに
「荷物が邪魔だったら移動する前に声かけてくれたら嬉しいな」
と伝えたのだが、返事は
「〇〇(私の名前)の荷物は全く触っていない」
という返事だった
認知症という単語が頭の中に浮かんできたが
覚えていないなら仕方ないよなあ、、、と思って
母親が見ているテレビ番組の話などをして過ごした
そういう日が、11月の最初の2週間ほど続いた
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